| 誕生の背景 |
| 旅行ブームのはしりだった昭和38〜39年ごろ、長野鉄道管理局や新潟鉄道管理局と、地元の県市町村共催の『夏の北アルプス打合せ会』などでよく顔を合わせる新聞・出版記者のあいだで「年じゅう一緒に取材をするのだから、取材記者クラブをつくろうじゃないか」という話が持ち上がった。
新聞と出版の記者が協力して記者クラブをつくるというのは、ジャーナリズムでも例のないことだったが、取材対象が『旅行』ということで、両者とも新形式のクラブ設立に燃えた。
昭和40年1月、日本ではじめて旅やレジャーを対象とした新聞・出版記者合同の『旅行記者クラブ』(現:日本旅行記者クラブ)が発足した。
その後多少の紆余曲折があり、設立前に研究した賛助会員制度などは実現を見なかったが、昭和40年代の高度経済成長時代の旅行ブームに支えられて、活発な取材活動を続けた。 |
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| 昭和40年 |
| 1月27日 |
旅行記者クラブ発表式、銀座東急ホテル。7カ条の規約制定。
<会員名簿>16社25名
スポーツニッポン新聞社・文化部
スポーツタイムズ社・編集局
デイリースポーツ社・文化部
東京新聞社・婦人家庭部
東京タイムズ社・企画室
東京中日新聞社・文化部
日刊スポーツ新聞社・文化部
報知新聞社・文化部
読売新聞社・婦人部
アサヒカメラ・編集部
岳人・編集部
新ハイキング社・編集部
旅・編集部
秋元書房・編集部
実業之日本社・ブルーガイド編集部
山と溪谷社
<幹事>
柞木田龍善(読売新聞社)
大崎春哉(東京中日新聞社)
澤田武志(新ハイキング社) |
| 4月9日 |
例会、12社15名。西丹沢丹沢温泉ホテル。議事、連絡会、事務所、賛助会制度。 |
| 7月18〜19日 |
例会、12社14名。長野県蓼科温泉滝の湯。オブザーバー本保竣氏(京浜急行)。連絡会ついての審議過程で、読売新聞社柞木田氏は退会を表明し承認された。後任幹事に端詰英一氏(スポーツニッポン新聞社)を選任。 |
| 10月15日 |
例会、11社13名。有楽町駅前レバンテ。 |
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| 昭和41年 |
| 1月27日 |
例会、14社19名。有楽町駅前レバンテ。国民休暇村東京案内所を事務局とする件を決める。
<幹事>
大崎春哉 留任(東京中日新聞社)
端詰英一 留任(スポーツニッポン新聞社)
大貫 茂 新任(山と溪谷社) |
| 4月11日 |
例会、13社15名。有楽町駅前レバンテ。 |
| 4月 |
国民休暇村東京案内所内に事務局を設けた。 |
| 8月18日 |
例会、14社18名。有楽町駅前レバンテ。 |
| 12月8日 |
例会、15社20名。銀座近鉄大飯店。 |
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| 昭和42年 |
| 1月22〜23日 |
例会、伊豆下田城山ホテル。 |
| 6月9日 |
例会、14社20名。有楽町富士アイス本店。
<幹事>
端詰英一 留(スポーツニッポン新聞社)
大貫 茂 留(山と溪谷社)
杉山桂吉 新(日刊スポーツ新聞社) |
| 9月12日 |
例会、酒蔵信州新宿店。 |
| 12月7日 |
例会、時事通信社の入会を承認。 |
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| 昭和43年 |
| 3月7日 |
例会、14社17名。銀座三笠会館。読売新聞社の入会を承認。クラブにOBの会友制度を設けることを決定した。
<幹事>
杉山桂吉 留(日刊スポーツ新聞社)
竹村卓也 新(東京タイムズ社)
横山元昭 新(実業之日本社) |
| 7月16日 |
例会、14社14名。有楽町交通大飯店。スポーツタイムズ社は5月で退会(会社廃業)。前回の例会で決定した会友制度について、会費の問題から議論続出して結論に至らず。 |
| 12月15日 |
例会、15社19名。日本橋たいめんけん。会友制度を白紙にもどした。 |
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| 昭和44年 |
| 5月20日 |
例会、12社14名。東宝ツインタワービル東天紅。毎日新聞社の加入を承認した。規約内規検討委員会を設置し、委員4名を任命した。
<幹事>
横山元昭 留(実業之日本社)
谷島輝一 新(デイリースポーツ社)
小林源太郎 新(報知新聞社) |
| 11月5日 |
例会、11社17名。銀座東急ホテル孔雀庁。各県観光課との定期打合せ会を開催するように働きかけることを決定。 |